小人閑居して不善を為す

三度目の休職に考えたこと、したこと、したいことを綴る

二週間の試し出社が終わった

このブログを三年ぶりに開いて読んだ。
休職前はこんな様子だったのかということがよく分かった。全然書いていなかったブログだったが、書いていて本当に良かったと思う。

休職は弊社では三年までで、三年経つと期間満了退職になる。
休職前はまさか三年も休むとは思わなかった。数ヶ月で復職すると思っていたのである。
休職してメンタルの方は良くなった、少なくとも良くなったと思ったのだが、下痢が止まらなかった。
過敏性腸症候群下痢型というものらしい。
医者と話していて、どうもこの下痢はメンタルの調子を表しているものと意見が一致したのだ。
即ち、メンタルの不調=下痢という訳である。
その下痢が止まらないうちは復職できないと思っていた。
しかし何年たっても下痢が治まらず、もう下痢が止まらなくても期間満了退職になる前に復職するしかないかと考えだしていたのだ。

そこへ救世主が現れた。過敏性腸症候群ネット掲示板で、パンラクミンという整腸剤が効くとの情報を得たのである。
他にも乳酸菌飲料が効くと聞いたので、ヤクルト1000やらR-1やらなんやかんやを飲んでいたのだが、結局乳酸菌飲料を飲むとかえって下痢するということが分かり、乳酸菌飲料を止めてパンラクミン一本に絞ったら下痢が快癒したのだ。
これが今年の七月。

八月には復職診断書を書いて貰い、じゃあ明日から定時出社に間に合う時間に家を出て電車に乗る訓練をやろうと思いつつ一日伸ばしにしていたら、九月末の復職検診の翌日から二週間の試し出社が決まってしまった。
毎朝早く起きて電車に乗る訓練無しにいきなり試し出社なんかやって大丈夫なのかと思ったが、なんとか乗り切った。
試し出社も一昨日終わり、一日も遅刻せず無事に出社することが出来た。

このコロナ禍なので会社はほぼ全員が在宅勤務なのだが、会社としては試し出社期間中は定時出社しなければならない、欠勤は一回まで、遅刻は二回までしか認められないという決まりがあり、これを守れるかどうか、二週間ハラハラしたが、無事毎日定時出社し、定時まで勤務できた。全く何も問題なかった。

 

ほぼ三年ぶりの職場はガラッと変わっていた。休職直後にコロナ禍が始まったということもあり、今まで三回休職した中でも最大の変化である。ほぼ浦島太郎状態だった。毎日分からないこと、覚えることが膨大にあり、大変だった。
試し出社の間一緒に付き添ってくれる上司以外は全員在宅勤務でWeb会議でしか顔を合わせないし、休職期間中に座席がフリーアドレス制になったので、休職前の自分の机の引き出しに入っていたものは段ボール箱に詰められて保管されていた。他の棟のキャビネットに入れてあった自分管理の過去資料は、建物自体が建て替えになるという理由でごっそり捨てられていた。一応過去資料の内絶対に必要なものはサーバ上にも置いてあり、その他の資料はバックアップとして取ってあった物ばかりなので捨てても構わないといえば構わないのだが、今もそのことを考えると虚脱感が止まない。

また、以前は部にかかってきた外線電話は部全員が自分のPHSで取ることが出来、取った人が担当者のPHSに転送することになっていたのだが、自分のPHSだと何故か教わった通りにやっているのに外線電話を取ることが出来なかった。一度情報企画部に問い合わせて、その時の実験では外線が取れたものの、肝心の時には全く取れず弱っていた。
ところが在宅勤務になった為かPHSは全部廃止になって、全員iPhoneを持つことになっていた。今は外線電話はどうなったのだろう?誰も会社にいないし、iPhoneには外線電話を取る機能がないから廃止になったのかもしれない。ともあれ、これで地味に気苦労の種になっていたものが解消してやれやれほっと一安心である。

試し出社が終われば会社に来る頻度も減るので、最終日は自分の紙資料をせっせとシュレッダーにかけた。家に紙資料を持ち帰ることはまずない(今は資料は共有サーバに置くかTeamsにアップロードされる)し、会社に置いておく荷物をできるだけなくしておけば面倒も減るだろうとの思いからである。

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休職したのはこれが三回目で、何れも三年の期間満了ギリギリになって復職している。
休みたいから引き延ばしたいだけ引き延ばした訳ではなく、全然復職できる気がしなくて悶々としていたのに、不思議と毎回ギリギリになると何故か持ち直すのである。
自分でも何と都合のいい話だろうと思うが本当だ。

しかし、これで通算九年近く休職している訳で、勿論職級も給料も上がらないし、厚生年金の額もシミュレーションしたらかなり少なかった。
自分のキャリアの中で九年というのは結構長い期間であり、その間働いていなかったのだから他の人が積んでいる経験も積めなかった訳で、色々ハンディキャップがある。
まあ無いものは無いなりになんとかやっていくしかない。

それにしても貯金も確定拠出年金も少ないので、六十歳定年を過ぎても会社に残らせて貰わないと生きていけないというのが辛い。
こんな健康具合なので定年退職したいと思っていたのだが、二週間の試し出社をやってみて、まあボチボチ働ければ六十五歳までなんとかやっていけるのではなかろうかという気になってきた。

それに在宅勤務というのが大きい。
試し出社中は毎日定時出社が決まりで在宅勤務ができなかったのだが、復職が決まれば在宅勤務になる。

休職前はコロナの直前だったので、在宅勤務制はあるにはあったものの、家族が急病で看病しなければならない等のやむを得ない理由がある人だけが使える制度、という雰囲気があり、気軽には使えなかった。
それが今は原則在宅勤務である。
前々回の試し出社前に医者が言っていたことだが、毎朝起きて満員電車に乗って定時に出社できればそれで仕事は半分終わったようなものだとか。
やはり満員電車での通勤はメンタルが地味に削られるのである。
それが無くなるのだ。
今一番心配なのはまた休職するのではないかということなのだが、在宅勤務によって通勤のストレスが軽減できるのなら、休職の可能性がそれだけ下がるということで望みがある。

もっとも今の医者は毎日通勤した方が良いというのが持論で「通勤によって自分の不調が気付き易くなるが、通勤しなければ動かないので気が付きにくい、だから全く気が付かないうちにメンタル不調になっている人が多いのではないかと思っている」ということだった。
それは毎朝散歩する等軽い運動を取り入れることで補えるのではないかと思う。
まあ在宅勤務というのは人生初の経験なので、徐々に慣れるしかない。
その内リズムも掴めるだろう。

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休職撤回ならず

やっぱり休職することになった。

 

そりゃまあそうかなと思う。

一旦出した診断書を数日で、いやあれは無かったことにしますなんて言ったら、出した医者の信頼度はゼロである。

 

そういう事情もあるが、やはり8月から具合が悪かったのだから、同じくらいの時間をかけないと回復しないだろうと医者は言うのである。

これまたそれはそうかなと思う。

 

そんな感じで説得され、病院から会社へ。

上司に、やっぱり休職することになりましたと伝えると、ちょっと待っててくれと言われ、しばらく待っていると、思いがけない話を伝えられたのである。

 

会社の取り決めで、月の前半に休職する場合は当月末まで欠勤になり、翌月の頭から休職扱い、

月の後半からだと翌月末まで欠勤になり、翌々月の頭から休職になるというのである。

診断書が出たのは今月の後半なので、休職は12月から始まることになる。

 

そして、診断書には4週間の自宅での安静としか書いていないので、4週間後に復職可の診断書を貰えば来月半ばには復帰できる、というのである。

 

もし休職だと、復職許可の診断書が出てから実際に復職できるまで、復職判定会議だとか何だとかの手続きがわんさかあるので、一か月位はかかるのである。

 

しかし4週間後ならまだ欠勤を続けている最中なので復職判定会議だの何だのが全く要らず、すぐに職場復帰ができるよ、ということなのだ。

 

さあ、そんな上司の皮算用は果たして通用するのか。

 

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休職しない?

事態は急展開。

休職しないことになった。

 

休んでいる間につらつら考えていた。なぜ休職することになったのか、どうすれば復職できるのか。

 

診断書を書いてもらう時、医者は言った。

自分の能力を超えて仕事が溢れたことに対して対処できなかったのだから、これからはそういう場合にどうしていくのかを考えなければならない。それは医療でどうこうできる問題ではない。

 

それでどう対処するのかを考えていたら、そもそも仕事は溢れていなかったことに気付いた。溢れそうでいて溢れていないという微妙な水位を保っていたのである。

 

それよりも自分を追い詰めていたのは、どれだけの分量の仕事がいつ降って来るか分からない、という不安だった。

 

そこで上司と今抱えている仕事と降りかかって来そうな問題について話し合い、問題が発生したらすぐにSOSを出す、ということにしたら、なんとかなりそうな感じになってしまったのである。

 

もしなんとかなりそうになくても、その時はその時でごめんなさいできませんと言えば済む。

人命にかかわる仕事ではないし、政府が危機に陥る仕事でもなんでもない。やらなくて大問題になるということはないのである。

 

そんなちょっと考えれば分かる事なのになんで休職しようと思ったかと言えば、やはり追い詰められたあげく軽いパニック状態になっていたからとしか言いようがない。

 

また、未解決の問題、どれくらいの分量なのかよく分からない問題について、自分が必要以上に大騒ぎし過ぎる傾向にある、ということが分かった。落ち着いて取り組めばそんなに大した問題ではないのかもしれないのだ。

 

要は自分が小心者でパニックに陥り易いということだろう。映画の脇役にありがちな設定である。どうしたって主役にはなれない。

 

それはそれとして人事が言うには、一旦診断書が出たからには復職可の診断書が出るまでは仕事はさせられない、と言い張ってきかないのである。というわけで今日はこれから診断書を貰いに行く。医者のお小言をたっぷり聞かされると思うと憂鬱である。

いや、お小言ではすまず、診断書を出したんだからちゃんと休んでもらう、と言うかもしれない。そうなったら休職するしかない。まあなるようになるしかない。

 

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今の主治医の持論

今の主治医の持論は非常に独特で、なかなか信じがたいことのオンパレードである。色々あるので列挙する。

 

○精神病は眠れるようになれば治る。だから眠る為の薬しか処方しない。

 

眠る為にはエネルギーがいる。眠れないのは、眠る為のエネルギーが足りないから。

 

○睡眠とは、500円を入れたら1000円が出てくる自動販売のようなもの。300円を入れても400円を入れても何も出てこない。500円以上を入れて初めて1000円が出てくる。

 

○500円とは眠る為に必要なエネルギー。眠る為にエネルギーを使っても、眠ったらエネルギーは倍になって返って来る。

 

○だから、日中何をしていようと、絶対に眠る為の500円だけは必ず残しておかなくてはならない。

 

○不眠になる人は、この最低限の500円を残しておかなかった人。

 

○元気に溢れて活発に動き回っている人は、もっと高性能な、例えば5万円を入れたら10万円が返って来るような自動販売機を持っている。

 

○しっかり眠ってエネルギーを溜めれば、自動販売機はどんどん高性能になっていく。

 

○ただし時間はかかるし、性能の上限は人によって違う。

 

○加齢とともに上限は下がる。だから誰でも若い時よりはエネルギーが下がる。

 

○日中にしっかり目が覚めていないと夜眠れない。

 

睡眠薬は日中の覚醒度を下げるので、かえって夜眠れなくなる。だから睡眠薬の量がどんどん増えていく。

 

○老人の睡眠時間が短いのは、日中もボンヤリしているから。

 

○ストレスは睡眠でしか解消できない。

 

○一般にストレス解消法と思われていることのほぼ全て(遊びに行く、旅行に行く等)は、エネルギーを使うだけの行為であり、ストレスは解消されない。

 

○だからストレスが溜まったら遊びに行くのではなく、家でゆっくりしてひたすら眠るのが良い。

 

○本当は精神病という病気はないのではないかと思う。あるのは不眠と不眠が引き起こす様々な障害だけ。

 

主治医が言うことは本当に日々刻々といった調子で変化するので、この次行ったらまた違うことを言っているかもしれない。

 

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張り切り過ぎ

二回目に休職した時の初日は、張り切って入会したばかりのジムの初日だった。

トレーナーが体力測定してくれて「脈拍がかなり高くて運動不足のようなので、まずは有酸素運動で体を慣らそう」とランニングを勧められた。

 

で、ランニングマシンに乗って走り始めたのだが、どうせだから負荷を強くしようと思ったのがいけなかった。

 

そのマシンは勾配が付けられるようになっていたので、目一杯大きく傾けたのである。

そして目一杯、クタクタになるまで走った。

終わった時は爽快だった。

 

が、翌日からアキレス腱が猛烈に痛くなって歩けなくなり、ジムに行くどころの騒ぎではなくなったのである。

 

一ヶ月ほどして痛みが取れた頃には、もうジムに行く気はなくなってしまった。

 

何事にも最初に張り切り過ぎるのは双極性障害あるあるだと思う。

だからほどほどにして手綱を引き締めないといけなかったのだが、その頃はそんなこと全く分かって無かった。いや、今でも本当のところは分かって無いと思う。

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詰め込み過ぎ

休職する!と決めてから1日経つと、段々自分の部屋の中が視界に入ってくるようになった。

 

そうすると色々気付いてくる。HDDに一杯入ったテレビ録画、買ったまま見てないDVD、積読になっている本、会費を払っているだけで全然行けていない乗馬クラブ、チケットを買ってあるが通えていない体育館、何か植えようと思ったまま空っぽのままにしているプランター、弾けるようになりたいと思って買った楽譜、そのうちやろうと思って貼っていた筋トレとストレッチの切り抜き。

 

これを全部やろうとしたら幾ら時間があっても足りない。

 

今必要なのは「したいこと、やろうと思っていたこと」の断捨離かもしれない。

 

しかし思い切れない。どれかを思い切って捨てようと考えただけで強い抵抗を感じる。

この抵抗感は一体何なんだろう?どこからやってくるんだろう? 

 

その上、更に一昨日はネット証券の口座を申し込んでしまった。何をしておるのだ自分は。

 

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はじめに

三度目の休職になってしまった。

 

いや、正確に言えばまだ休職にはなっていない。診断書は医者に書いて貰ったが未だ会社には提出していない。

 

一回目の休職は酷かった。今にして思えば全く何も治ってなかった。それもその筈、医者の診断が間違っていたからである。当初は鬱という診断だった。

 

それが覆ったのは一回目の休職から復職して5年目、激昂して上司の頭を叩いた時だった。黙っていればいいものをついつい人事に喋ってしまい、それが人事部長の知るところとなって大問題になった。

何やら人事部長に言われて始末書か何かを書いた気がするが、それだけでは終わらず、産業医と人事と上司の話し合いが持たれ、どこがどうなってそうなったのか見当がつかないが、何故か当時の主治医が悪い、主治医をすげかえるべきという結論になったのである。

そうして主治医が書いた紹介状を持って新しい医者に行くと、すぐさま双極性障害という診断が出て、同時に休職するように診断書が出たのである。これが二回目の休職の始まり。

休職期間中も自己破産したり父親が死んだりと色々大変だったのだが、何とか滑り込みセーフで二回目の復職にこぎつける事が出来た。

 

しかしそれも三年持たず、今回三回目の休職となったのである。

出来れば休職はしたくなかったが、このまま仕事を続ければ再起不能なまでに消耗してしまうだろうということも見えていたので、実に悩ましい。もう少し踏ん張ればいいだけのような気もするし、もう既にガソリンは空っぽになっている気もする。なんとも言いようがない。

 

以前からEvernoteで日記を書いているのだが、そちらにはやった事を黙々と書いているので、もよっとした気分、あれこれ考えあぐねて取っ散らかった心の中をつらつら書き連ねるのには向いていない。それで新しくブログを始めることにした。

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